上の巻紙は、
〒988-0084の吉田さん。
左、達筆のはがきは、
絵手紙は、やってない中学の恩師・菅原先生。
「2月5日の展示会場に、奥様と行った」と
前にいただいたはがきにあった。
その前に私が、お会い出来たのは
3月生まれの私がまだ58歳の2月・
還暦祝いで、気仙沼でお会いした。
気仙沼には、2月3日のみで
2月4日には、大崎での消しゴム印教室が
あったから、会うことは無かった。
〒988-0017の小野寺さん。
今回の気仙沼行きには、重要な役割を頂いた。
3月11日に出せば、14日の私の誕生日に
「ドンぴしゃり間に合う」と、
絵手紙サークル「いちい会」に、号令を
かけて下さったことでしょう。
昨日のケーキの絵封筒と、この巻紙は、
2時間くらいのサークル時間で、
集中しても書ききれまい。
昨日も、電話は通じない。
菅原先生は、私の誕生日なんぞ
覚えて出していることは、考えられない。
ギャラリー通信20号と、
気仙沼バージョンの(がくさん通信)を
送った。
生意気に、通信20号のタイトルと文章を
読んでいただいて何を感じていただいたものか?
前のはがきには、
「60歳を過ぎてからの活躍は?」と
書いていただいた。
ブログを
「2007年2月5日」にバックして見て下さい。
笑顔を見ることが出来ます。
先日の父方の親戚からは、実家の隣下まで津波は来た。
手付かずのまま、瓦礫と遺体の山だと。
今日も、電話をかけて・・・・・・みよう。
3月11日・あの日午前中に気仙沼から投函された絵手紙は、
3月19日に着いた。
午前中に消印が押され、気仙沼を出たから19日に着いた?
と言うことになるのだろうか?
追記
21日09:30小野寺さんと携帯通じる。
家屋被害は別にして絵手紙仲間9人無事と。