4月15日に「大崎ウエストギャラリー」で、
午前午後の「けしゴム印教室」があります。
「受講者名簿」の中に、14年ぶりに
お会いできる方のお名前が・・・。
2002年11月に、私にとっては2回目。
「第3回中国蘇州市絵手紙使節団」
という旅が、ありました。
あれから、14年。
当時一応「54歳」だったのです。
あはは。
団員の中には、
当時の「栄村滝沢村長さん」は、団長として。
今・聞くことは、無いのですが、「絵手紙の歌」というのが、その頃あって、
私の班に「手話が出来る人」が、いらっしゃって、当然「教えたがり」ですから、
「班の皆さん全員」が、その「手話」を歌に合わせて出来ること。
という事で、集まった昼食の時に練習をしておきました。
蘇州から帰る「夜の会」には、聾唖学校の先生もいらっしゃいましたので、
中国語が出来なくとも、手話ではニュアンスは、通じるようで
「大合唱を、しよう」と、班のみなさんが、見える位置に立って貰って
会を盛り上げたものです。あはは。
厳密には、中国の手話と・日本の手話とは通じない部分もあるらしい?
のですが、「通じているのか?そうでないのか?」は、私にはわからない。
ま、14年も経てば、そんな事もあったか?無かったかも定かでなくなるのでしょう。
という訳で、14年ぶりのご対面が、教室であるようです。
「消しゴム印を始める」、動機となったのは、この中国行からの話でした。
行かなければ、こんな風に全国を歩く事も無かったのです。