
青森から、新幹線で東京に。
青森~八戸間も、うん時間で・・・だと。
八戸には、18歳の6月26日から23歳の8月2日まで居た。
8月3日の夜「ネブタ囃子」の太鼓と笛に送られて、連絡船に乗った。
連絡船の出港の銅鑼が、実に淋しいんだよな~。
今では、青函連絡船なども死語だろうか「連絡線」と出る。
「津軽弁」が大好きで、宮城の東北弁も、生まれ気仙沼の「気仙語」に
津軽弁を練習する。
日頃付き合う人は、九州の方もいるわけで、
がぜん私は、極めて平均的な日本語を駆使していると思っている。あはは。
今時期の青森駅前には、りんご売りのお店がたくさん並んでいて、
このりんごは「陸奥」隣の娘はの名前は「睦」うちの孫は、年が「むっつ」
などとイントネーションを使い分ける。
少々エッチな津軽の小話を、読んで暗記して人前で話して笑いを取るレベルまでした。
正確なイントネーションの津軽弁で、出演者を演じ分け・声も変えるとなると、
それはそれは、適当なものでは無く(かまないようにしゃべる)のも大変だった。

2年ほど前に、わざと各駅停車の「八戸~青森間」に乗り込んで見た。
見事に、高校生も「津軽弁」を駆使していなかった。
「ほっかぶり」をした、昔のお姉さんにやっとその気配が。
(たまに青森に来た位の観光客に、津軽のよさを教えられるか?)
という人がいたが、たまに行く所でなくなって
どんどん東京に吸い込まれて行くのだろうか。
浜松町に向かうモノレールの中で、携帯電話で大きな声で、お姉さんが
「飛行機ぁ??遅刻すてよ!!」
あ~あ~大好きその津軽弁・大好き青森。