キャンプに行ってました。という話をしてますが、少し話を聞いてください。
私には、絵手紙教室で指導している方。専門学校の学生。あるときは中学校に、老人大学に、レクリエーション・ダンスの講習会にという事で、出かける場合があります。
楽しんで覚えてもらいたいという私と、上手になりたいという受け手側の気持ちがぴったり合えば申し分が無いわけだが、そうではない人がいるのは、ま・仕方がない。
「この年になって絵なんぞを指導されるなど、まっぴらごめん」という人がいても仕方ない。
キャンプの子供の中に、こんな子がいました。
竹とんぼの作り方を教えたり、鉈・のこぎり・錐・小刀・まさかりいろんな生きるすべを、楽しみながら指導してます。
子供たちは、風呂敷も知らないから、物を包むとか・物を縛るという習慣もなくなっています。
物を結ぶ「ロープワーク」を始めたときのことです。
一本のロープを右手と左手に持って、右手に持ったロープを
左手の下に持ってくる。
という第1の結び方の動作。指導事項はこれだけ。
私も右利き・その子も右利きだが、次の動作があるために「右手は左手の下に来てなければならない」わけだが、なぜか?その子は
「左手が右手の上」と別に云う。
それがために、次の動作に入れない。上手く成功しても、次にやらせると出来ない。
仏のがくさんも、だんだん雲行きがあやしくなる。
後からきた子が、さくさくと出来て、2分もしないで帰ってしまう。
20分位指導して成功して、じゃもう一度となると出来ない。何とか成功させてほめて頑張ったねという言葉をかけて次に行かねばならなくなるのだが、タイミングが難しい。
思えば、逢ったときから、「いや・私はこうしたい」という発言をする子だった。
積極的という評価もあったが、「素直に聞けないだけだったのか」
違うことを指導したときも、「ま、今日はこんなもんで」などと、お茶をにごす。
知能が良すぎて「こんな事覚える必要がないや」という気持ちも分かる。
簡単すぎていつでも覚えられるから、今覚える必要もないやという気持ちもあるだろう。
私には、覚えるときを逃さずに、しっかり掴み切るまで覚えるということが必要ではないのかと思うのです。
そこが、指導できずにキャンプは終わった。あの子は何をつかんだろう?
「うるさいおじさんが居たぜ!」だけだったかも知れない。