4日釧路で行われている「棟方志功展」を見に行った。
ネットで、「14時から、学芸員の解説が行われている」という事だったので、
14時に合わせて出発を組む。
出掛けの朝刊に、場所が同じで14時から「浮世絵」の話が、12月・4回あると告知文が。
ん!はて、両方聞けるのかな?などど疑問のまま出かける。
程よい広さの静かな会場に、「え!浮世絵の話にこんなに集まるの?」という人が居た。
小柄な女性が現れて、人数を数えたりして、
「なんと」と書いてはいけないが、その方が学芸員の方だった。
何よりも、「志功の話」を、聞きたかったのだが、
「志功」ではない「浮世絵」の話を聞くはめになった。
「しょうがない?」というか、「良かった?」というか。
一つとなりの席に、太りに太ったおじさんが腰をかける。
十分に立派なメタボ体型に、
呼吸をするたびに鼻なのか口なのか?「ひゅうひゅう」と音がする。
これまた、「歩く・睡眠時無酸素症候群」の方で、うるさく・うるさくて・しょうがない。
暗くて・静かで・昼飯後の興味の無い話を、起きてて聞けるほど、私はスタミナが、無い。
「ひゅう・ひゅう」の音さえ「ガード下」で眠れるのと一緒だ。
ところが、「浮世絵」の話が、そのまま終わるのでは、片手落ち。
小柄な学芸員は、真面目に「春画」のさわりに話が及ぶ。
「春画・枕絵」などという言葉を知らない方に解説はしないが、
実に真面目に懇切丁寧に、学芸的価値の見地から「春画」の話になると、眠気も覚める。
これまた、活字に出来ないのだ。あはは。
そして、残念ながら、その「春画」が、プロジェクターで、大写しになることは無かった。
「展」の方は、生前のビデオも、流されていて、本人の声も聞けた。
私は、第2外国語が「津軽弁」なので、
テレビに映ることを意識した、標準語的津軽弁は、「表記不能」な津軽弁では無いのが残念。
面白かったのは、
ビデオの中で、版画を彫りながら「ねぶた」のリズムで唄う「クラシック」を口ずさんでいた。
「ねぶた」の大太鼓のリズム、「どーんこ・どんどんどん」のリズムで曲が進むわけです。
これは、良い。
第2外国を習得している私でなければ出来ないな。あはは。
その曲名も解明して、私の物まねの一つにしようと思って帰ってきた。
昭和50年だから、その気なっていれば会う事も出来た人だったろうなと。
で、作品は、「青森から借用」の作品だった。
素朴な質問だが、版画なので作品は、何枚も同じものがあるのだろうなと?
版画のものには、「第○○作」とか「第○○刷」とか書いておるのもあったような?
勤務日で、今日はここまで。
チューリップさんのコメントに「志功展」を見た感想は?なんと書こうか?